2014年04月23日

おばちゃん。


去年の母の日、大好きなおばちゃんが90歳で他界しました。
おばちゃんは私の母の一番上のお姉さん。
おばちゃん、もうひとりのおばちゃん、おじさん、母、の4人きょうだい。
私にとっては、母のような、年の離れた姉のような、友達のような…
かけがえのない存在でした。

私のうちは両親が共働きだったので、保育園に上がる3歳まで日中はおばちゃんに子守をしてもらっていました。
こんなことがあったそうです。
ある日、母が泊りの会合があり、兄は父と過ごし、赤ん坊の私は母の里に預けられました。
そこには祖父母や叔父一家がいて、とてもにぎやか。
しかし…夜になりひとたび泣き出した私は誰が抱っこしても、誰があやしても一向に泣き止まなかったそうです。
困り果てていつも一緒にいるおばちゃんに電話を。
タクシーで飛んで来たおばちゃんが私を抱っこするやいなや、さっきまでの大泣きがピタッと止んだとか。
なんて人騒がせな・・・。
私は全く覚えていませんが、親戚が集まるとこの話をよく聞かされました。

おばちゃんは縁側に長い座卓を置き1日中和裁の仕事をしていました。

おばちゃん

〈 小学校4年生頃、私が描いたおばちゃん。 〉

仕立て上がりの着物は縫い目がとてもきれいで、きちっとしていました。
私も、浴衣や、子供の頃にはウールの着物を縫ってもらいました。
裁断した切れ端をもらってチクチク小さな袋を縫ったりして、私はいつもそばで遊んでいました。
後々、裁縫が好きになったのはおばちゃんの影響が大きいんだろうなと思います。
お腹が空いてくると、
「おばちゃん、なんか〜。」
と言って忙しい仕事の手を止めさせておやつをねだったりして・・・。
おじゃまばかりしていました。。。

買い物に連れて行ってもらったり、和裁の合間にする畑仕事のそばで遊んだり。
おばちゃんは花が大好きでした。
見るのはもちろん、育てるのも。
家の裏にある畑には一年中、四季折々の野菜と花をたくさん育てていました。
土曜日は学校が半日で終わるとバスを途中下車しておばちゃんのところへ。
中学生になっても時々、帰りに自転車のハンドルを途中で左にきっておばちゃんのところへ。
働くようになってからも自転車で、車で、しょっちゅう寄っては一緒にお茶を飲みながらいろんな話をしました。
帰る時には丹精込めて育てたおいしい野菜や、きれいな花をたくさん持たせてくれました。
自転車のカゴがいっぱいになるほど・・・。
重くてフラフラしながら家まで帰りました。
いつも私の姿が見えなくなるまで見送ってくれて、私も何度も振り返って手を振りました。

花の苗や球根もたくさん分けてくれました。
菊の花やラナンキュラス、フリージア、紫陽花・・・。
絶えてしまったものもありますが、毎年、その季節になると咲いてくれます。
このカラーの花も。
カラーって家の畑でも咲かせることができるんだなぁーって。

カラーの花。 

料理もとても上手でした。
以前にここに載せた“7対3”のぼた餅もおばちゃん作。
大学いもの作り方もおばちゃんが作っているのをそばで覚えました。
作るのも食べるのも大好きでした。
一緒にいろんな所へ行きました。
20数年、毎年秋に行く大山のリンゴ狩りも88歳まで一緒に行きました。
大学の頃、部屋の引越しをする時に、母が休日を待ってやってくるまでに私と一緒に神戸まで出かけて荷造りを手伝ってくれました。
春の特急やくもふたり旅は、少しずつ咲き出した花を眺めながらの楽しい旅でした。

ユーモアがあって、笑うのも大好き。
笑顔がとってもいいんです。
何でも話せて、何でも聞いてくれて、何でも教えてくれました。
何も話さなくても「おおかたそげだないかと思っちょったわ。」と、わかってくれていたり。

お別れの日、別れの時間に間に合うよう私は大急ぎでエプロンを作りました。

おばちゃんへ。

料理が好きだったおばちゃんに向こうでも使ってもらうために。
携帯用の裁縫セットなどを入れた巾着と一緒に持たせてあげました。
エプロンを広げておばちゃんに掛けてあげると・・・あっ!
慌てて作ったので紐が短かかったのです・・・。
「これじゃ後ろで結べないなぁ・・・」
と泣きながら言うと、そばにいたおばちゃんの孫が、
「大丈夫だよ、おばあちゃん、裁縫“得意”だけん、直して使ってくれるわね。」
と慰めてくれました。
そうだよね、何十年も針仕事をしていたんだから。

おばちゃんと私の母、二人は“大正”と“昭和”が違うだけで誕生日の年月日が同じなんです。
しかも3月3日のひな祭り。
ちょっと珍しいです。
この日は毎年ふたりをお祝い。
今年は大きな大きなイチゴと『世界一りんご』をおばちゃんにお供えしました。
きっと・・・「まぁ〜!なんとまさげなねぇ〜!」と喜んでくれたと思います。

時々“おばちゃんと話したいなぁ。”と思います。
そのたびに“あ、そうか、もう話せないんだなぁ・・・”と、とてもさみしい気持ちになります。

「亡くなった人のことを思い出して“あんなことがあったねぇ。”、“こんなことしたねぇ。”と、いろいろ話してあげることが一番の供養になるんだよ。」
と、いつかおばちゃんが言ってました。

これからも、花を見るとき、どこかへ行くとき、何かを食べるとき・・・
そして、何でもないふとしたときにおばちゃんのことを思い出すと思います。
さみしい気持ちになることもあるかもしれません。
涙がこぼれることがあるかもしれません。
でも、きっとおばちゃんは思い出すことを喜んでくれるのではないかと思います。

おばちゃんみたいないい笑顔のおばあちゃんになれるようにがんばります。
これからもずっと見守っていてね。
おばちゃん、たくさん、たくさん、ありがとう。

2004.3.23 畑にて。

〈 おばちゃんが作ったほうれん草。 ある晴れた春の日、おばちゃんの畑にて・・・  〉
posted by 桃笑 at 12:56| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。